Search
Calendar
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>
New Entries
Recent Comment
Category
Archives
Profile
Links
mobile
qrcode
RSSATOM 無料ブログ作成サービス JUGEM
大多喜 本多忠勝の墓
0
    大多喜 本多忠勝の墓(良玄寺)
     大多喜城下の南東にあたる新丁に、本多氏の菩提寺良玄寺(浄土宗)があります。1595年(文禄4年)、本多忠勝の開祖になり、初め良心寺と称しましたが、忠勝の死後そのおくり名をとって
    良玄寺と改めました。現在は無住ですが、寺には本多忠勝画像や、本田氏にかかわる古文書・位牌など数多く残されています。

     本堂の西100メートルほどの墓地に3本程の杉に囲まれて高さ1メートルほどの石塔が3つあります。中央が本多忠勝の墓で、右が忠勝の妻、左が次男忠朝の墓です。この墓地から北に大多喜城の全貌が望めます。



     元和元年(1615)忠朝は大阪夏の陣で戦死してしまいます。どのようにして死んだのかが問題です。
    慶長19年(1614年)、大坂冬の陣。酒を飲んでいたために不覚をとり、敵の猛攻に遭って敗退してしまいました。
     それを家康に咎められた忠朝は、翌20年(1615年)の大坂夏の陣のとき、汚名を返上しようと天王寺・岡山の戦いで先鋒を務め、毛利勝永軍に正面から突入し、奮戦しましたが戦死してしまいました。

     死の間際、「戒むべきは酒なり、今後わが墓に詣でる者は、必ず酒嫌いとなるべし」と無念の言葉を残したといわれ、死後「酒封じの神」として知られるようになったとか。

     酒が忠朝の命を縮めたなんて残念なことです。
    ただし、私うめおとしては絶対に「酒嫌い」にはなりたくありません。



    本多忠勝・忠朝」をNHK大河ドラマに

    大多喜町のホームページに、つぎのような文が載っていました。

     徳川家康の最重要側近(四天王の一人)として戦国の世を、生涯無敗で生き抜いた勇猛果敢な忠義一徹の武将『本多忠勝』、そして、慶長14年御宿沖で座礁したスペイン船乗員317名の命を救い、日本、スペイン、メキシコの友好交流の基を作った温情あふれる人間性豊かな『本多忠朝』。

    戦国の世から太平の世へと移る日本を背景にしたこの二人の親子のエピソードを、NHK大河ドラマとして誘致すべく、NHK大河ドラマ「本多忠勝・忠朝」誘致実行委員会が中心となりその誘致活動を行っています。





     
    posted by: うめお | うめお | 14:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









    この記事のトラックバックURL
    http://nejibanablog.oyakobato.net/trackback/113
    トラックバック