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ロイ・ブラックの本
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    ロイ・ブラックの本


        ビートルズと同じ時代に活躍したドイツ(当時は西ドイツ)の歌手ロイ・ブラック。東西ドイツの統一の翌年(1991年)に48歳で亡くなった彼の一生を描いた本が、日本女性の手で、出来上がりました。本の名前は「ロイ・ブラック −ドイツ女性の宝物−」、著者はパンの会・木下秀子さん(東京・台東区在住)です。

    ロイ・ブラックの本

    写真1 ロイ・ブラックの本(おもて面)

       ロイ・ブラック(本名ゲアハルト・へーリッヒ。愛称はゲールト)は1943年1月25日、バイエルン州の古都、アウグスブルクに生まれました。生まれた時から身体が弱く、7歳の時、心臓弁膜症にかかってしまいます。アウグスブルクの名門、ホルバイン・ギムナジウム(高校)に入学したころ、ロック歌手になりたいという夢が芽生え、「ロイ・ブラックとキャノンズ」というグループを結成し、演奏活動を始めました。

     1964年、アウグスブルクで学生音楽コンクールが開催され、彼らは優勝。ロイ・ブラックは地元の新聞で取り上げられました。それを知ったレコードプロデューサーのベルトラムは早速、ロイ・ブラックらと面会。かれらをデビューさせました。
     
      当初はキャノンズとともにロック風の曲を2曲ほど吹き込みましたが全く売れませんでした。ところが1965年の夏、少女趣味の甘ったるい流行歌「君はひとりじゃないよ」が大ヒット。さらに翌66年「白無垢の花嫁衣裳と花束」が250万枚の売上げを記録しました。68年からは映画俳優としても活躍しました。



    写真2 ロイ・ブラックの本(うら面)

     67年に知り合った器量よしの娘ジルケ。7年間の交際を経て、1974年にふたりは結婚しました。76年には長男も誕生しました。しかしこの頃からロイ・ブラックの人気は急下降。ふたりは85年には離婚してしまいます。

      翌86年、持病の心臓弁膜症が再発。2度の手術。結果は思わしくありませんでした。しかし、病院のベッドの上で手術後の結果に悲観している時、久し振りにロイ・ブラックの名前がヒットパレードに登場しました。彼は再びカリスマ歌手として復帰します。チタンで出来た人工の管を心臓につないで。
     
     89年、23歳の若い娘カルメンと知り合った知り合ったロイ・ブラック。ふたりは愛し合うようになります。同年、スケールの大きいテレビドラマの主役に抜擢され、高視聴率を記録しました。「ロイ・ブラック、奇蹟のカンバック!」とマスコミは書きたてました。

    木下秀子祝賀会B

    写真3 出版記念会であいさつする著者の木下秀子さん

     しかし90年、最愛のお父さんが自殺。91年、可愛らしい女の赤ちゃんが誕生して3週間後、カルメンのいない別荘で、突然、ロイ・ブラックは亡くなりました。48歳の若さでした。

     問題の死因は色々と憶測されています。木下秀子さんは本で、次のように書いています。

     「実際、彼は亡くなる直前に心臓の薬をアルコールで服用したという。多くのドイツ人はカリスマ歌手は自殺したに違いないと噂をしているが、ウルズラ(注 社団法人ロイ・ブラック友好団体 会長)をはじめ心やさしい彼のファンは心臓麻痺だと言い切っている」

     生きていれば今年(2013年)でちょうど70歳です。


    出版記念会を3月30日(土)に浅草公会堂で

    木下秀子祝賀会C

    写真4 「パンの会と現代」をテーマに、記念会で講演
    する女性運動研究家・五十川(いそかわ)チトセさん

     本のあとがきで木下秀子さんは「ドイツ語で書かれた彼の資料を訳しながら、それを日本語に書きとめ、その後自分流の解釈でロイブラックを表現していく、この作業は非力な私にとっては非常に苦しいことだった」と、この本を執筆した苦労を述べています。


     さらに秀子さんは「かたわら他の仕事もしていたので、限られた時間の中での執筆だった。おまけに日本では全く無名で、すでに亡くなっている外国の歌手を紹介することなど、今の時代にはそぐわないというお声も何件か頂いた。けれども私はこの目的を断念しようとは思わなかった」と語っています。 

    木下秀子祝賀会A

    写真5 出版記念会の会場風景
     
      その理由はなんでしょうか? 私は考えます。あとがきのサブタイトルに「私のロイ・ブラック」とあるとおり、それだけロイ・ブラックに対する思い入れが強いからこそ、途中で投げ出さずに出版までこぎ付けられたのではないか、と。

      「ロイ・ブラックの本」出版記念会が、さる3月30日(土)浅草公会堂で開催されました。女性運動研究家・五十川チトセさんはじめ大勢の方が、本の出版祝いに駆け付けてくれました。                                  

                                            うめお

    posted by: うめお | うめお | 20:25 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    その方の本は、未読ですが、その著者の方が、私のメインテーマが「ドイツ語圏のエンターテインメントを楽しむ事」のブログに見えて、上記の2回目のロイ・ブラック特集にコメをして下さいました。

    彼女の努力とドイツ語力には感服しますが、残念ながら、ここに飼いてある事を見ると、ドイツにまで行ってロイ・ブラックのことを調べたそうですが、幾つも間違いがあります。

    ロイ・ブラック・ファンは女性だけでは無いし、Roy Black and his Cannons が正確なバンド名。また、彼女が本を書いた後で、彼の未亡人等が登場し、ドイツの公共放送でロイ・ブラックに関するドキュメンタリー番組が放映され、その後、ドイツ語のウィキペディアのロイ・ブラックの項目も大きく書き換えられました。その後の方が正しいはずです。

    また、ロイの最初の大ヒット曲は、「少女趣味な甘ったるい曲」では有りません。

    そうして、2曲目のタイトルは、ドイツ語で「全てが白」で、ドイツの結婚式は、ウェディング・ドレスだけでなく、新郎も出席者も全て白一色で、その様子をロマンチックに歌った歌です。

    また、Schlager というドイツ単語を「流行歌」と言うのも、現実とは離れています。確かに、元々の Schlager の意味は「ヒット」ですが、ロイ・ブラックより前に、英語のポップスは Pop、それに対しドイツ語のポップスを Schlager とドイツ語で言っています。

    死因は、ドイツでは「心臓麻痺」と確定しています。彼女の情報、古すぎるのだと思います。また、ロイ・ブラック以外のドイツ語ポップスの歌手についてはお詳しく無いようで、ロイ・ブラックは、「人気が落ちた」とは言えない状態でした。二曲続けて大ヒットとなった事の方が、当時のドイツ語ポップスでは珍しかったのです。
    | yan_yan | 2018/08/30 5:50 PM |
    尚、ロイ・ブラックは、今でも根強い人気があります。

    1969年に活動2年だけで事故死した女性歌手の方が根強い人気があるとも言えますが。

    ロイ・ブラック以上に、ドイツ女性の心を掴んだ男性歌手は、ローランド・カイザー(老若男女に人気で年が行ってから、益々、人気が出ている)、ファン層が殆ど女性で、ドイツ語ポップスの歌手としてはロイ・ブラックをはるかに上回り、ローランド・カイザーの次にレコード、CD、音楽テープの売り上げが多い南アフリカ人のハワード・カーペンデール。

    このローランド・カイザーは慢性の肺の病気を肺の移植手術で乗り切り、その7年後位から更に歌唱力が増し、歌手としての勲章も受章。

    ハワード・カーペンデールも70過ぎて現役ですが、一度、多発性硬化症になったと言う理由で引退。数年後にカムバック。

    木下さんは、ロイ・ブラックが住んでいたドイツの家にまで行ったそうですが、大家さんは、ローランド・カイザー・ファンだったそうです。

    また、ロイ・ブラックがソロ・デビューした頃は、まだ、ドイツ語圏でドイツ語のポップスが人気がありましたが、ロイ・ブラックの人気が落ちた頃は、ドイツ語圏で、今でもドイツで盛んなテクノ・ミュージックやドイツ人が英語で歌うユーロ・ディスコ系の歌に押され、ドイツ語のポップス自体の人気が落ちていた時期で、人気が落ちたのはロイ・ブラックだけではありません。

    1970年代後半から人気急降下となった男性歌手は多数います。反対に、その頃初ヒットを出したローランド・カイザーが最も多くシングル・ヒットを出していたのは、その「ドイツ語ポップス冬の時代」とピッタリ重なります。

    ローランド・カイザー人気が急激に高まり、彼に蹴落とされた形でった消えて行った男性歌手は何人も居ます。

    ロイ・ブラックは、人気が衰えなかった方です。

    同時期に人気急降下となり、その後、奇跡のカムバックをした男性歌手も、ロイ・ブラックだけではありません。その人こそ、ロイ・ブラックと異なり、本当に人気がなくなっていたのに、カムバックし、ドイツの音楽賞のカムバック賞を受賞しています。

    ローランド・カイザーの1976年初ヒット後、彼に蹴落とされた形で人気急降下になった男性歌手の中では、ロイ・ブラックは、コンサート・ツアーも行っていて、人気急降下とは言えない存在です。

    それから、ドイツの雑誌も、デタラメなゴシップ記事を載せるものがあります。木下さんが読んだドイツ語の資料には、そういう物も含まれて居たのだと思います。

    つい一昨日、フェイスブックで初めてロイ・ブラックのファン・ページを見つけ、人数が多いので驚き、入会したばかりです。今後も、ロイ・ブラックの正確な情報が更に入手できると思います。
    | yan_yan | 2018/08/30 6:06 PM |









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