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真福寺 波の伊八
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    真福寺 波の伊八

     真福寺(勝浦市市野郷)の「波の伊八」の作品は、本堂最奥の上部両端にあります。夢を食べるバクが、波の間に描かれています。 伊八の作品には珍しくカラーです。バクは当時想像上の動物でした。


    向かって右側の彫刻 緑色のバク


    向かって左側の彫刻 赤色のバク

     日持上人が真言宗を日蓮宗に

     真福寺ホームページによると、「建治2(1276)年2月、日蓮聖人ご両親の墓参を果たした六老僧の日持上人は、生地・駿河(静岡市)の松野と同名の地が近くにあると聞き、松野部落に掛錫し、 松野・長勝寺を開創した。その翌月、松野の近くの市野郷にも真言宗寺院があるのを 知り、教化帰伏して栄敬山真福寺と号した。時は建治2年3月である。真福寺では、日持上人が上総弘通の折、感得された『瘡守稲荷』をお祭りしている」といいます。


    真福寺本堂

     日持上人は、六老僧のひとり。我が国最初の海外布教を志し、実行に移した人物です。日興に導かれて日蓮の弟子になりました。非凡な学才と強固な意志を見込まれて、宗祖の臨終に際し本弟子のひとりに加えられました。
     日蓮の13回忌法要を、自ら開いた松野の蓮永寺で営んだ
    日持は、身延山の宗祖廟に詣で、中国・インドへの布教を請願しました。
     翌年、単身、北方を目指して布教の旅に出ました。日持、46歳。残された事跡からルートを推測すると、山形、秋田、青森を経て蝦夷(北海道)を回りました。そして大陸に渡り、旧満州を経て、蒙古で死去したという説が有力です。

     

    境内全景図
     
       なお真福寺を創建した建治2年とはいつごろでしょうか。流罪赦免になって佐渡から戻った日蓮上人は、鎌倉に2ヶ月ほど滞在したあと、甲斐・身延に草庵を結び、厳しい日々をそこで過ごすことになります。身延に篭(こ)年のもった年の10月、ついに蒙古が襲来。日蓮上人の必死の念仏が効いたのか、蒙古軍は撃退されました。建治2年とは、この最初の蒙古襲来の翌々年のことです。その時の執権はNHK大河ドラマで和泉元弥が演じた北条時宗(8代)です。 
         うめお










     
    posted by: うめお | うめお | 09:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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