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和室の大黒天
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    和室の大黒天 6月1日鴨居の上に 

      茨城の常陸太田市の親戚が書いてくれた大国様(正式には大黒天)の絵。今まで和室のすみっこにあったのですが、泊ったさんから「ちゃんと目立つ所に安置しないとご利益がない」と指摘され、鴨居の上に安置することになりました。

     インターネットで調べてみたら、大黒様は、もとは古代インドでの戦いの神であったとされ、時と破壊を司るシヴァ神の化身とも言われているそうです。 神棚と同様に南向きあるいは東向きにして、頭より高い位置で祀(まつ)る、とのこと。

     大黒様を神社神道と考えるか、それとも仏教系統と考えるかは信奉する人の判断によるといいます。

     何はともあれ「ご利益がある」と信じなければいけない、とさんは力説しています。貴重なアドバイス、ありがとうございました。        
                                            うめお
    posted by: うめお | うめお | 13:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    夏の花 あおい
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       夏の花 あおい

      夏の花 あおい

        上の絵は、葵(あおい)を題材にした絵手紙です素敵な絵ですね。そして素直な絵ですね。私達のペンションに泊まって頂いた方が、その御礼として送って頂いたものです。東京・豊島区の方々に泊まって頂いたなかのおひとりです。

        さて、葵の絵はかつてのテレビ番組・水戸黄門のタイトルに使われましたね。「人生楽ありゃ苦もあるさ」というテーマソングが流れる時、画面いっぱいに徳川家の家紋が映し出されますが、その家紋が葵なんですね。あのテーマソング、歴代の助さん・格さんが歌っているんですが、私が印象的だったのは、あおい輝彦が助さんだった時に歌ったものです。

        やはり葵(あおい)がでたら、あおい輝彦でしょう!             

                                               うめお

      posted by: うめお | うめお | 18:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      布施塚
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         布施塚

        布施塚

          小高い丘の上に布施塚と呼ばれる古い3層の石塔があります。上総介広常の没後、その供養のために建てられたものと伝えられてきましたが、県の文化財調査によって、供養塔ではなく、舎利(しゃり)塔であろうと推定されました。塔身部の文様などによって、鎌倉時代の作と推定されています。

           布施の地名は、鎌倉幕府創設に大きな役割を果たした広常の死後、頼朝の命で追善供養が行なわれたとき、鎌倉から布施料とされたためと言われています。ここから西の台地一体を殿台(とのだい)といい、広常の館跡といわれている中世の城郭があります。近くには、根古屋(ねごや)・堀内・鍛冶(かじ)屋敷などという地名も残っています。

           供養塔との関連は定かではありませんが、広常の地勢をうかがうことができます。

                                                うめお



        posted by: うめお | うめお | 21:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        おわら風の盆について
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          おわら風の盆について

           

          おわら風の盆は、富山県富山市八尾(やつお)町で毎年9月1日〜9月3日までの三日三晩唄い踊り奏でる行事を言います。

          富山市八尾町は、富山駅から高山本線で25分ほど内陸に向かった平野部と山間部のほぼ中間に立地している町です。

          江戸時代には、富山藩の台所と言われるほど養蚕と和紙の生産で栄え、聞名寺(もんみょうじ)の門前町としても開かれた財力のあった街です。

          風の盆の行われる地域には、11の集落があり、それぞれ独自の衣装を作り各集落の団結意識を高め、他の地区に負けまいと一生懸命にそれぞれの技を磨くよう日々努力しています。


           地図1

           踊り手の中心は、二十代半ばまでの独身の男女に限定され、各町のユニホームの衣装を着る事ができるのは、彼らしかいません。これは、風の盆が重要な男女の出逢いの場である事を示しています。また、男性の衣装は、羽二重で半纏が作られる事もあり、一人分30万円から40万円もするそうで、女性の浴衣も含めて各町分の財産となっています。

          各町分の衣装は、独自のデザインになっており、慣れてくると衣装を見ればどの地区のメンバーかがわかるようになります。この時期を過ぎた人々は、地方(じかた)や唄い手となっていきます

          また、一般の人々が踊りたい場合には、無礼講タイムに自分の浴衣や洋服でなら踊る事が出来ます。勿論、旅人が踊るのもOKです。




           地図2 

           踊り方には、男女共通の踊り方の豊年踊りと男女で踊り方が異なる新踊りがあります。豊年踊りと男性の新踊りは、農作業をデザインした踊りで、女性の新踊りは、蛍を追う女性の姿をデザインした踊りとなっています。好きな人は、風の盆の期間中夜明けまで、唄い踊り奏でる事が、この地域では許されています。

          風の盆の期間中は、全国から30万人前後の人々が訪れ、町全体が劇場と化し普段は静かな町が大勢の人々で賑わいます。

          また、おわらという言葉は、大藁からきているという説と大笑いからきているという主に二つの説があります。

           

            

           1 聞名寺


          写真1 聞名寺

           風の盆の中心となってきた聞名寺は、浄土真宗の越中・飛騨・美濃の三国一の古刹として有名なお寺です。八尾は、この寺の門前町として開かれて行きました。



          2 天満町女踊り 

          写真2 天満町女踊り

           天満町は、八尾を流れる井田川沿いの町です。

          この町には、天満宮がありそこから、この町名がつけられています。女踊りは勿論ですが、男踊りも非常に力強い踊りが見られる事でも有名な町です。



          3 下新町女踊り 

          写真3 下新町(したしんまち)女踊り

          下新町は、聞名寺の坂下にあり、八尾の中心となる神社である八幡社のある町です。女性の朱色の浴衣が、八幡社の鳥居に浮き上がってとても美しく引き立つ事で、とても人気の高い町です。毎年、5月3日には、この町の八幡社と聞名寺を中心とした曳き山祭が行われ、八尾の富の蓄積を示す豪華な曳き山が八尾の町を彩ります。

           

           

           

          4 西新町男踊り 

          写真4 西新町男踊り

           

          西新町は、八尾の一番西側に開けた町です。越中八尾駅から見ますと、最も奥まった所に位置している町です。

          この町は、男踊りが非常に厳格に踊られている事でもよく知られている地区です。この写真は、男性が案山子になっている姿をデザインしています。左右の指先まで、しっかりと伸びている様子が見てとれます。



          5 西新町舞台踊り 

          写真5 西新町舞台踊り

           

          おわらの踊りの基本形は、町流しといって踊りながらゆっくり前方へ進んで行くのですが、時には道路を舞台として仕切り、舞台踊りを見せてくれる事もあります。その時には、男女の絡みの踊る姿を見せてくれる事もあります。西新町は、若宮八幡神社を持つ集落であり、男性の半纏の背中には、八幡神社の霊鳥である鳩が二羽羽を広げている姿がデザインされています。

           

            

          6 雪の坂道(西町) 

          写真6 雪の坂道(西町)

           

          八尾は、井田川に沿った河岸段丘の町です。従って、至る所に坂が見られます。この写真は、2月の冬浪漫の催しの時期に撮影したものです。



          諏訪町通り(諏訪町) 

          写真7 諏訪町通り(諏訪町)

           

           諏訪町は、石畳の通りが美しく整備された日本の道百選に選ばれた通りを持つ町です。高橋 治さんが書かれた小説「風の盆恋歌」は、この町を舞台として描かれた小説です。また、この町には諏訪社がある事から、この町の名前がつけられたと思われます。



          8 高山・出前のおわら(保存会) 

          写真8 高山・出前のおわら(保存会)

           

           八尾の人々は、各地から依頼のあった時に全国に出前のおわらの披露に出掛ける事があります。時には、町分単位で出掛ける事もありますが、時には11の地区の連合軍で出掛ける事もあります。この時には、各町分の衣装ではなく、おわら保存会として共通のユニホームで出掛けます。この写真は、高山本線開業何十周年記念で保存会が高山に招かれた時の写真です。

           



          9 西新町地方(じかた)
          写真9 西新町地方(じかた)

           

          各町分の踊りには、必ず地方(じかた)と呼ばれる演奏者と唄い手がつきます。演奏は、三味線と胡弓と太鼓で行われる事が多いです。

          唄い手のメロディーは、「越中おわら節」をひたすら唄い続けます。

          また、演奏での大きな特徴は、胡弓という楽器を用いる事です。この胡弓を用いる事によって、「越中おわら節」独特の曲調が醸しだされています。日本民謡で胡弓を用いる唄として越中五箇山の「麦屋節」も知られておりますが、胡弓独特の音色を味わう民謡は、「越中おわら節」が秀逸と言えると思います。



          10 西新町舞台踊り 

          写真10 西新町舞台踊り

           

          写真5と同じように西新町の道路上での舞台踊りを撮影したものです。舞台踊りは、花といわれるご祝儀を戴いた時に、そのお宅の門口で踊られる事も多くあります。

           
          posted by: うめお | - | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          赤山地下壕跡
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            赤山地下壕跡 写真1

               赤山地下壕跡

              房総半島の先端にある人工約五万の街、館山市。旧日本軍の東京防衛の要塞都市であり、戦略拠点にもなったこの街には、数々の戦争遺跡が残っています。

            赤山地下壕跡 写真2

              同市内の赤山という丘の中腹に、「本土決戦」を想定した抵抗拠点と見られる地下壕(ごう)があります。いわゆる「赤山地下壕」です。壕内部の部屋の入口上部に、コンクリート製の額があります。刻まれているのは「戦闘指揮所」の文字。さらに奥には「作戦室」の文字が刻まれた額のある部屋もあります。

            赤山地下壕跡 写真3

             昭和19年7月に発令された「本土沿岸築城実施要綱」に基づいて、敵上陸が予想される地点に、抵抗する陣地や砲台などの建設をしたものの一環と考えられるといいます。

            赤山地下壕跡 写真4

             「作戦室」の隣の部屋の天井には、約3メートル四方にわたって描かれた力強い竜のレリーフもあります。竜がどんな意図で描かれたは謎です。ただ、戦争末期に製造された水中特攻兵器には「海竜」「蛟竜(こうりゅう)」など、竜の文字を付けた特攻艇が多かったので、戦意高揚の意味もあったかもしれない、といいます。



             最深部の部屋には、開封されていないコンクリートの袋が8個、無造作に積まれたまま固まっていた、といいます。おそらく、終戦間際まで壕を掘り進め、そこで敗戦を知らされ、作業を放棄したのではないだろうか? ということです。

                                                   うめお
            posted by: うめお | うめお | 14:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            日曜画家Tさん その5
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               日曜画家Tさん その5



              北の風景のイメージですかね。雪が積もってるし。何と言っても、空の感じがいいと思いません?

                                                   うめお
              posted by: うめお | うめお | 07:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              おお美しい勝浦
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                 おお美しい勝浦

                  「おお美しい勝浦」という詠い出しで始まる詩碑が勝浦港を一望に眺める高台の上に立っています。お万の方の銅像で名が知れている八幡岬。その手前のところです。詩の作者は「君死にたもうことなかれ」で有名な与謝野晶子で、詩のタイトルは「上総の勝浦」です。

                おお美しい勝浦

                上総(かずさ)の勝浦


                おお美しい勝浦
                山が緑の
                優しい両手を伸ばした中に
                海と街々を抱いてゐる

                此処へ来ると
                人間も船も鳥も
                青空に掛る円い雲も
                すべてが平和なる子供になる


                太洋で荒れる波も
                この砂の上で
                柔かな鳴海(なるみ)絞りの袂(たもと)を
                軽く拡げて戯れる

                それは山に姿を仮りて
                静かに抱くものがあるからだ
                おお美しい勝浦
                此處(ここ)に私は「愛」を見た

                「鳴海絞り」は木綿布を藍で染めた伝統工芸品。

                昭和54年8月、勝浦市建立。書家白汀の揮毫。

                与謝野晶子は大正8年(1919年)ごろに勝浦を訪れ「上総の勝浦」という詩を残しています。

                君死にたまふことなかれ

                  話は変わりますが、与謝野晶子が日露戦争のさ中に発表した有名な「君死にたまふことなかれ」の詩碑が、晶子の出身校、大阪府堺市立女学校の後身である大阪府立泉陽高校の中庭にありますが、次の初連の8行だけが、大きな字で刻まれています。

                君死にたもうことなかれ

                ああをとうとよ 君を泣く
                君死にたまふことなかれ
                末に生まれし君なれば
                親のなさけはまさりしも
                親は刃(やいば)をにぎらせて
                人を殺せとをしえしや
                人を殺してしねよとて
                二十四までをそだてしや

                 この詩は直接的には、戦場に送られた弟の無事の生還を願ったもの。ですがこれを読んだあるひとが「けしからん。『国家の刑罰』を与えるべきだ」と絶叫したのに対して晶子は、これは肉親を戦争にとられたすべての人に共通する「まことの心」をうたったものです、と反論しました。

                 つまり晶子は、人類共通の普遍的な心情をうたったということが出来ます。
                                                うめお



                 





                posted by: うめお | うめお | 07:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                日曜画家Tさん その4
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                  日曜画家Tさん その4

                  日曜画家Tさん その4

                    何でもないところを走っているようですが、こんな風景はよく、私の実家に帰る時、見かけました。ひとつだけ違うのはSLではないこと。やはりこの絵の主役はSLでしょうね。                        うめお。



                  posted by: うめお | うめお | 10:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  館山城
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                      館山は「南総里見八犬伝」で有名な戦国大名里見氏との結びつきの深い町です  

                      城山公園は、里見氏9代の義康から1590(天正18)年に築いたとされる館山城の跡に建設されています。城は1614年(慶長19)年、幕府の取り潰し政策によって里見氏が伯耆国(鳥取県西部)倉吉に配流されたのち、跡形もなく破却され、数度の発掘調査によってもはっきりした遺構は発見されていません

                    館山城

                                         写真上 館山城

                      現在、公園内の城山山頂に天守閣型の館山市立博物館別館、公園内の西側中腹に本館が建てられています。

                      本館2階の南房総の民家のジオラマは、館山市畑にある江戸中期の民家石井氏住宅
                    (県有形)を模したものです。

                                                       うめお





                    posted by: うめお | うめお | 13:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    今年もタケノコ 1
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                      今年もタケノコ 1

                      たけのこ1

                      今年もタケノコの季節がやってまいりました。上のタケノコの絵は草加のKさんの作品です。                                うめお
                      posted by: うめお | うめお | 12:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |